6点点字開発と翻案に力を注いだ2人の人物と点字の歴史

6点点字開発と翻案に力を注いだ2人の人物と点字の歴史

点字は、目が見えなくても読むことのできる記号のような文字です。6点の点字が最初につくられたのはフランスでした。そしてこの文字を考案したのがフランス人の全盲の少年だったことをご存じでしょうか?

フランス語で点字のことをブライユといいますが、これは考案であるのルイ・ブライユ氏の名前から来ています。そして日本においては、石川倉次氏がブライユ点字を元に日本語点字を考案しています。

今回は、点字を考案した2人の人物について、調べてみたいと思います。

子どものころのルイ・ブライユ

点字を考案したのは、1800年代のフランス人ルイ・ブライユです。ブライユは、5歳のときに思わぬ事故で左目を失明し、その影響もあって右目も交感性眼炎となり、両目とも失明しています。当時障がい者が教育を受けるのは非常に難しい状況だったようですが、両親は殻にも公平に教育を受けさせたいと考え、就学前は父親が板片にくぎを打ち付けて文字を教えたり、支援者の助けによって地元の学校に入学しました。そして、10歳の年に王立盲学校に入り少年時代を過ごしました。

 

点字ができるまで

盲学校での教育には浮き出し文字が使われましたが、この文字は読むにも書くにも大変手間のかかるものでした。1821年、ブライユが12歳のころ軍事用に使われていた「ソノグラフィ(夜間用暗号文字)」が学校に導入されました。しかしまだまだ読み書きが難しい状態だったため、ブライユ少年は4年の歳月を費やし、目が見えなくても読める文字の研究と実験に明け暮れました。

1825年ついに、6つの点で構成された点字を考案しました。ブライユは18歳になっていました。

 

完成に向けて

ブライユが考案した6点式点字は、数字や楽譜の記載も容易にできる画期的なものでした。

さらに4年の歳月をかけて、6点式点字の解説書を完成させ正式に公表しました。ブライユ少年は20歳の青年になっていました。

 

優れたパイプオルガン奏者という一面もあったブライユ。彼にとっては、楽譜の読み書きが簡単にできるようになったことが、一番の喜びではなかったかと思われます。

 

ブライユは、王立盲学校卒業後も学校に残り、教師となりました。

点字の改良はさらにすすみ、1837年28歳になったブライユは、ついにブライユ点字の完全版を完成させることができました。

 

わずか43歳で

1852年、ブライユは43歳でこの世を去ることになります。肺結核でした。盲学校の不衛生な環境が結核を招いてしまったといわれています。

 

ブライユ点字がフランス国内で正式採用されたのは、彼が亡くなった2年後1854年のことでした。その年から100年後にあたる1952年に、ブライユの遺骸は故郷を離れ、パリの国民的英雄たちが眠るパンテオンに葬られました。2000年には、世界盲人連合によってブライユの誕生日となる1月4日を「世界点字デー」としています。

 

石川倉次と小西信八との出会い

千葉市内などで小学校教員をしていた石川倉次は、1882年34歳ころ国語や国字に関心を持ち、東京の「かなのくわい」という会に参加しました。この会では、漢字の使い方や仮名遣い、話し言葉と書き言葉の関連性についての研究を行い、その中で同じく教員をしていた小西信八との運命的な出会いがありました。

 

日本語点字ができるまで

その後小西から、楽善会訓盲院(のちの東京盲学校)就任の打診があり、1887年、石川は盲教育に足を踏み入れることとなりました。

石川が盲学校教員になった年に、小西からブライユ点字を日本語仮名に翻案することを目的とした研究依頼がありました。これを機に、東京盲学校で石川倉次教諭が中心となって、教員と生徒がチームを組み、アルファベット点字を五十音点字に翻案するプロジェクトがはじまりました。

 

1889年石川の同僚教諭の遠山邦太郎によって、6点で表記した五十音点字が発表されました。それに触発された石川がさらに改良を加えて、2行3列の6点点字を考案しました。

 

結局、盲学校教員である石川倉次案と遠山邦太郎案、当時盲学生だった伊藤文吉と室井孫四郎の共同研究案の3案から現在の日本語6点点字を決定するための審議が繰り返し行われました。

1890年11月1日、石川倉次案がひらがな6点点字として採用されることになり、およそ3年を要したひらがな点字の翻案事業は終了しました。

 

さまざまな人による度重なる研究と協議によって、今から133年前の1890年11月1日に、日本のひらがな点字が完成しました。そして多くの視覚障がい者の情報交換に欠かせない存在となっています。そしてひらがな点字ができた11月1日は、記念日として各地の視覚障がい者団体などで、「点字制定記念日」を記念した行事が行われています。

まとめ

今回は、視覚障がい者の点字開発と翻案に力を注いだ2人の人物、ルイ・ブライユと石川倉次にフォーカスしました。

今回はじめて調べてみて、ルイ・ブライユは、2歳で失明しその運命を嘆き悲しむのではなく、当時立場が弱かった視覚障がい者が自由に文字を読み書きできるように動きはじめたのがわずか12歳であったこと。43歳で亡くなるまでその人生を盲教育のために注ぎ続けたこと。その功績が認められ、フランス国内で6点点字が公に認められたのが、亡くなってから100年後であったことなど、驚きの連続でした。

 

また、日本においては、アルファベットの点字をもとにひらがな点字を翻案した方として石川倉次を調べたのですが、実はそれが完成するまでには、教員や盲学生らも研究に携わり、つくり上げていったことなど、本当にはじめて知ることはかりで、こんなにまで人生を費やして尽力してくださった方々に頭が下がる思いでした。

 

2023年現在、パソコンやインターネットの普及によって、視覚障がい者の情報共有の形に変化が出てきていますが、点字はいまでも多くの視覚障がい者やサポートしてくださる方々の中で大切に使われています。

 

さらに時代がすすみ、私たち視覚障がい者の生活や環境も変割っていくことでしょう。

しかし、時代や環境がどんなに変わっても、私たちのために点字をつくってくださった方々に感謝しつつ、この点字を大切にしていきたいなと思いました。

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