難病を抱えて生きる~私が受診のたびに思うこと~

難病を抱えて生きる~私が受診のたびに思うこと~

私は網膜色素変性症という進行性で治療法のない目の難病です。

病気の進行具合を知るために定期的に眼科に通っていますが、

「気持ちを新たにする」

そんな意味合いも私にはあったりします。

※この記事は、2020年2月13日に公開した「定期受診も捉え方次第かも!?」を加筆・修正したものです。

はじめに風になびくシャボン玉

網膜色素変性症は、網膜に異常をきたす難病です。

症状としては、暗がりで物が見にくくなったり、だんだん視野が狭くなったりといったものから始まり、そのあとメガネなどをかけても視力が上がらない、色覚異常を起こすといったものまで出てきます。

私も例に漏れることなく、暗がりで物が見にくいうえ視野が極端に狭いです。

どのくらい狭いかというと、正面を見ている状態で真横に物があることを感知できないくらい狭いです。

このように夜盲、視野狭窄から症状が出る人が多いのですが、全ての人が同じではありません。

症状の出方は人それぞれです。

 

ただ共通しているのは、今のところ明確な治療法がない点です。

ですが、私は一応通院を求められています。

まぁ、進行状況を確認するためでしょう。

なので、定期的に通院をしているわけですが、毎回受診の前後はメンタルにくるんですよねぇ~。

そこで今回は、私がどんな気持ちで受診に臨んでいるのかをお話したいと思います。

改めて確認をします空に浮かぶチェックリスト

不安や恐怖を抱え内心ビビりながら病院に行くのですが、ただ単に不安を増幅させに行っているわけではありません。

「リミットの確認」

これが私が受診をする大きな目的です。

 

網膜色素変性症は治療法がないうえ、進行がとてもゆっくりです。

なので、通院をすすめられても通わない人もいるそう。

通院したところで治るわけではないですからね。

通院する意味を見出しづらい人もいるでしょう、きっと。

 

私は病気のことを告げられた時、「進行具合から見て、視野・視力がもって10年くらい」と言われました。

必ずしも完全に視野・視力を失う病気ではないのですが、10年後には一人で出歩くのが困難になるだろうとのことなのです。

 

なので、「現状を知ること」は避けては通れないと思っています。

今の病状を知り今後を推測しなければ、これからの道筋が立てられないからです。

そういう意味で私は受診を続けています。

そして、本当にその通りに進行していくのか確認し続けながら、今の自分、今後の自分に何ができるのか、したいのかを受診のたびに模索し生活を送っています。

毎回、怖いです…夜空に走る稲妻

眼科は3か月に1度のペースで受診しています。

正直、毎回怖いです。

現状を知りたい気持ちはあるものの、「病気がヤバいくらい進行しているかも」という恐怖が襲ってくるからです。

進行性の病気ですから、悪化していくことは頭では分かっています。

しかし、それでも、今見ている景色が目に映らなくなる、一人で外に出ることも難しくなる状態に少しずつ近づいていると思うと不安でなりません。

受診日が近くなると「物の見え方がおかしくなっていないか」「視野は狭くなってはいないか」と「感覚的に症状が変化していないか」を確認せずにはいられなくなります。 

限りがあるからこそ雲の上からの眺め

視覚を完全に失うことがないにしても雲一つない晴れ渡った空やきれいな夕暮れを見ていると、ふいに「いつかは見られなくなるのかな」と思い虚しくなることがあります。

虚しさついでに何もしたくなくなることもしばしばです。

しかし、そんなことを思っていても今のところA型事業所で働いています

 

それは、なぜか?

 

限りがあるからです

 

見えている時間に限りがあるからこそ自分の好きなこと、やってみたいことをしてみたいと思い至ったからです。

 

「何もしないまま嘆き悲しむくらいなら、自分のやりたいことを思う存分やったほうがマシ」

ありふれた言葉かもしれませんが、そう強く思いえるようになりました。

 

それに限られた時間の中でどれだけ自分を望む姿に近づけることができるのか、という挑戦をしている部分もあります。

もしこの病気になっていなければこんなことを強く思い、行動に移すことはなかったでしょう。

 

見えている時間に限りがあるので焦りや不安、虚しさといった感情から逃れることはできません。

しかし、こうした感情が自分の原動力になっているのは間違いないでしょう。

焦りや不安を払拭したいから行動を起こすのです。

ただ、そうした感情に飲まれないように気をつけたいところではありますけどね。

 

限られた時間。

その時間をどう過ごすかが私の目下の課題です。

さいごに果てしなく続く一本道

私の場合は、病気によって目で物を見れる時間がおそらく限られています。

そして、病気が進行するにつれて行動範囲も限られてくるでしょう。

 

ただ、何かを制限されたからといって何もかもできなくなるというわけではありません。

むしろ、できることとできないこととが明確になるはずです。

そのうえで、できることを伸ばしていきたいのか、できないことを克服したいのかを判断して進んで行けばいいのではないかと思っています。

 

ちなみに、私はできることを伸ばす道を選びました。

ただ、そうした選択はひとそれぞれです。

あえて、できないことや無謀なことに挑戦して、このうえない達成感を味わうのもいいかもしれません。

 

個人個人が思う幸せや快適さは、それぞれ違うかもしれませんが、それらを追い求めるのが生きていくうえでの最善の道だと私は信じています。

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